生きていくうえで避けては通れない人との関わり。
その関わりの中で「怒りの感情」に悩まされることがしばしばあります。
そして、この「怒りの感情」はみんなが持っているもので、悩まされるものなのに、その取り扱い方は誰も教えてくれません。
それどころか、
「怒りっぽいよね」
「そんなに怒らないで」
「怒ったらダメだよ」
と、まるで「怒りの感情」が悪者であるかのように教え込まれます。
そして、いつしか大人になり、怒ってしまう自分を否定し、「怒り」を心の奥深くに仕舞い込み、優しくありたい、と苦しむことになります。
私たちは、「うれしい」や「楽しい」を良い感情、「イライラ」や「悲しい」を悪い感情と判断してしまいがちですが、怒りや悲しみも私たちの自然な感情です。
感情に良い、悪いはなく、どちらもも私たちにとって大切なものなのです。
怒りの感情は、特にネガティブなイメージがありますが、私達に大切なことを教えてくれます。
「大切なこと」とは何か。
それは怒りの裏側にある、自分でも気づかない隠れた感情です。
「怒り」は単独では発生しない感情で、その裏側には怒りの元となる隠れた感情があります。
不安や悲しみ、悔しさ、寂しさなどがこれにあたります。
例えば
子どもの帰宅が遅いとき。
「何時だと思ってるの!」と怒りをぶつけます。
その裏側の隠れた感情は、「何かあったのかな」という「不安」や「心配」ですよね。
子どもがいじめられたとき。
いじめた相手に対して
「なんてことをしてくれたんだ!」
学校に対して
「どうしてうちの子は学校に行けないのに、彼らは登校させているんだ!」
と怒りをぶつけます。
その裏側の隠れた感情は、大切な我が子を傷つけられた「悲しみ」や「悔しさ」があるのです。
ここで言う「不安」や「悲しみ」「悔しさ」は大切な我が子を守りたい、という親の気持ちですよね。
人は自分や自分の大切な人を守るとき、「怒り」として表現することもあるのです。
そう、防衛本能です。
怒りが湧いてきた自分にNGを出し、気持ちを閉じ込めてしまうのではなく、
「あ~、私は自分(子ども)を守りたくて怒っているんだな」
「自分(子ども)を大切に思っているんだな」
そう考えると、怒っている自分も悪くない、と思えませんか?
怒っている自分を受け入れ、怒りの裏側の隠れた感情を探してみると、
私は不安だったんだ
私は傷ついて悲しかったんだ
私は子どもが傷つけられて、悔しかったんだ
そんな風に、人として自然な、当たり前に沸き上がる気持ちに気づくことができます。
「怒り」は悪者ではありません。
大切なことを教えてくれるものなのです。